天皇家最大の神事・大嘗祭(だいじょうさい)とは?

天皇家最大の神事・大嘗祭(だいじょうさい)とは?

 

 

こんにちは!「スメラミコト物語」を運営しているみっちーです。

 

 

今回のテーマは『天皇家最大の神事・大嘗祭(だいじょうさい)とは?』です。

 

 

天皇一代につき一度しか行われない『大嘗祭』とは一体どのようなものなのか?

 

 

それではいってみましょう!

 

大嘗祭は天皇が神性を得るための秘儀

今回のテーマ『大嘗祭』(だいじょうさい、おおにえのまつり)は、新・天皇が『即位儀礼(そくいぎれい)』を行ったのち、最後に行われる天皇一代につき、一度しか行われない大祭(たいさい)です。この大嘗祭を経て、天皇は神性を得ることになります。

 

 

大嘗祭は、後述する『即位の礼』をあげた天皇が最初に行う『新嘗祭』(しんじょうさい、にいなめさい)のことです。※新嘗祭は五穀の収穫に感謝する大祭

 

 

新嘗祭の歴史は古く、飛鳥時代の皇極天皇の時代に始められたといわれています。日本では五穀(稲・麦・粟・大豆・小豆『出典:古事記』。ただし、時代によって一部種類が異なる)の収穫を祝う風習がありました。

 

 

これは現在でも変わりないのですが、特に昔は税も稲などの穀物で納めていたこともあり、国家にとって穀物の収穫というものは財政という側面でも非常に大きな意味を持っていたんですね。

 

 

ちなみに、新嘗祭というものは基本的には非公開となります。(2013年今上天皇が80歳のを迎えたことを記念し、宮内庁によって初めて映像公開されました)

 

 

毎年行われる新嘗祭でさえ非公開なのですから、天皇一代につき、1度しかない大嘗祭も当然非公開で実施されます。詳細は明らかにされていないのですが、大嘗祭は例年行われる新嘗祭とはスケールが違うようです。

 

 

『鹿服(あらたえ)』という麻の織物に包まれ、悠紀殿(ゆきでん)や主基殿(すきでん)などの大嘗宮(だいじょうぐう)において、その年に収穫された五穀の新穀を神々にお供えをし、その後、そのお下がりをみんなで食するという儀式のようです。

 

 

残念ながら一般的に知られているのはこれくらいの情報ですね。天皇が外陣(げじん)から内陣(ないじん)入って行われる儀式は秘儀であり、一般公開されておりません。

 

 

詳細が非公開という事もあり、一部の方々から怪しい宗教のような言われ方をされたこともあります。そういった批判的な発言を受けて、以前、宮内庁が「大嘗祭の内容を公表する考えはないが」と前置きしたうえで、『特別の秘儀はなく、天皇が神前で読みる御告文にもそのような思想はない』という異例の発表がありました。

 

 

秘儀といっても、怪しげで特別なものではなく、実際はそれほど堅苦しいものではないようです。簡単にいってしまうと、『新しい天皇の時代も良い時代でありますように』というお祝いみたいなもののようです。

 

 

補足ですが、悠紀は秋田県、主基は大分県のことです。大嘗祭でも、悠紀の国(秋田県)と主基の国(大分県)の農家で作られたお米もお供え物として使われるようですね。また、前述の大嘗宮も悠紀の国と主基の国の人達の奉仕で出来た御殿です。

大嘗祭の由来

ここで大嘗祭の由来について紹介します。

 

 

『日本書紀』に以下のような記述があります。天照大御神(あまてらすのおおみかみ。以下、アマテラス)が孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと。以下、ニニギ)を地上に遣わす時のお話(天孫降臨の物語)です。

 

 

アマテラスはニニギに稲穂を授けて、以下のような言葉を伝えます。

 

 

『吾が高天原(たかあまはら)に所御(きこしめ)す斎庭(ゆにわ)の穂(いなのほ)を以て、また吾が児に御(まか)せまつるべし』

 

 

これは、天孫降臨の物語の中で語られる、アマテラス三大神勅のひとつで、『斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅』と呼ばれるものです。 『高天原で育てられている神聖な稲穂を我が子に与えます。これを地上に植えて、豊かな国を作りなさい』という意味なのですが、実はこれこそが大嘗祭の由来といわれています。

 

 

如何に日本という国が、昔からお米というものを重要視していたかという事が伝わってくる話ですね。

ニニギと五伴緒(五部神)

アマテラスは天皇家の祖先であり、伊勢神宮の御祭神ということを知っている方は多いのではないかと思います。少なくとも、名前だけは聞いたことがある方が多いのではないでしょうか?漫画とかゲームでも名前が使われていることがよくありますからね。

 

 

ですが、正直、ニニギは一般的には名前すら聞いたことが無いという方が多いのではないでしょうか?

 

 

ということで、ニニギについて簡単にではありますが、ある逸話と共に紹介させて頂こうと思います。

 

 

ニニギは前述の通り、アマテラスの孫にあたる存在です。父親がアマテラスの長子である天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト、以下オシホミミ)、母親が萬幡豊秋津師比売命(ヨロヅハタトヨアキツシヒメノミコト、以下トヨアキツシヒメ)。

 

 

オシホミミの『穂(稲穂の穂)』、トヨアキツシヒメの『豊秋(秋の豊作を連想させる文字)』からもわかる通り、どちらも穀物に関わる名前です。ニニギの名前も、『稲穂がにぎにぎしく成熟する』という意味で、アマテラスから斎庭(ゆにわ)の稲穂を渡されて、『地上を豊かにしなさい』といわれるに、相応しい存在だったことが分かります。

 

 

そして、一説によると、地上に向かうことになったニニギは、5人の従者とともに地上へ天降ります。現在『天下り』というと、悪い印象を持たれるかと思いますが、元々は天界の神様が地上に降り立つという意味で使われていたんですね。

 

 

5人の従者は超豪華です。簡単に紹介します。この5人の従者を五伴緒(いつとものお。五部神とも書く)と呼びます。

@天児屋根命(アメノコヤネノミコト。大化の改新でおなじみ中臣鎌足の中臣氏の祖)

 

 

A布刀玉命(フトダマノミコト。忌部氏-いんべしの祖。忌部氏は織田信長で有名な、織田氏の祖ともいわれています)

 

 

B天宇受賣命(アメノウズメノミコト。日本最古の踊り子で、芸能の神とも呼ばれています)

 

 

C伊斯許理度売命(イシコリドメノミコト。三種の神器の一つ、八咫鏡-やたのかがみを作りました)

 

 

D玉祖命(タマノヤノミコト。玉造部-たまつくりべの祖で、三種の神器の一つ、八尺瓊勾玉-やさかにのまがたまを作りました)

経歴や子孫を見ると非常に豪華に見えませんか?

ニニギと永遠の命

地上に降り立ったニニギにまつわる一つのエピソードを紹介して、ニニギに関する紹介を終えたいと思います。

 

 

そして、地上(日向の国、高千穂。現在の宮崎県といわれています)に降り立ったニニギは、ある日、国土の視察のために笠沙の岬(鹿児島県)の海辺を歩いていた時の事です。非常に美しい女性を見つけました。

 

 

女性の名は木花咲耶姫(コノハナノサクヤヒメ。以下、サクヤヒメ)。名前からして美しさが伝わってくるようですね。そして、ニニギはいきなり『私の妻になってはくれないか?』とプロポーズしたんです。要するに、ひとめぼれしてしまったんですね。

 

 

ニニギの気持ちを感じ取ったサクヤヒメですが、さすがにいきなりのプロポーズに即答できず、父である大山積神(オオヤマツミノカミ。以下、オオヤマツミ)に相談したいという旨を伝えました。

 

 

その後、サクヤヒメの相談を受けたオオヤマツミは、ニニギが天つ神の御子であるとを知り、ニニギの申し出を大喜びで受けることにしたのです。

 

 

そして、より一層のご多幸を願ってということで、サクヤヒメの姉・石長比売(イワナガヒメ。以下、イワナガヒメ)も祝いの品とともに献上することとしたのです。しかし、その後悲しい結末が待っていました。

 

 

サクヤヒメの美しさを見たニニギは、『姉のイワナガヒメも、さぞかし美しいのであろう』と期待に胸を躍らせたのですが、イワナガヒメは簡単にいってしまうと、美人ではなかったんですね。というか、ちょっと遠慮したいという容姿だったようです。

 

 

『妹(サクヤヒメ)だけでよかったんだよ』

 

 

ニニギはイワナガヒメがサクヤヒメの姉とは思えぬ容姿に愕然とし、サクヤヒメの説得も虚しく、イワナガヒメを実家に帰してしまったのです。

 

 

天つ神の御子(ニニギ)はついに私の心遣いを理解してくださらなかった

 

 

イワナガヒメを戻されたオオヤマツミは、嘆き悲しみます。実は、オオヤマツミがイワナガヒメをニニギに送ったのには訳があったのです。

 

 

イワナガヒメは『石長』の精霊で、石のように長くて不変なこと、すなわち永遠の命を象徴する存在でした。対して、妹のサクヤヒメは『木の花』の精霊であり、容姿は美しいのですが、その命ははかなく散っていく運命でした。

 

 

イワナガヒメとサクヤヒメの二人の娘を嫁がせることで、天孫の寿命が岩のように長く永遠に続き、咲く花のごとく栄えるようにという願いが込められていたのです。

 

 

しかし、サクヤヒメだけを妻としたニニギの行動で、今に至るまで天皇の寿命には限りがあり、長く生きられないようになってしまったと伝えられています。

 

 

それにしても、父親から『嫁に行け』といわれていった先で、『君は美しくないから帰っていいよ』と帰されたイワナガヒメの心情は、察するに余りありますね。

 

 

そして、ニニギとサクヤヒメの間に子供が3人生まれ、その中の一人が山幸彦(ヤマサチヒコ)と呼ばれているのですが、この山幸彦の孫こそ、神日本磐余彦天皇(カムヤマトイワレヒコノミコト)すなわち、初代天皇・神武天皇です。

 

 

この話だけを紹介すると、神様なのにひどい人みたいに感じてしまうかもしれませんが、古事記や日本書紀に描かれている神様は、非常に人間臭いです。別の機会で紹介したいと思いますが、アマテラスでさえ、すごいお茶目な話がありますからね。

 

 

ひとつ、補足させて頂きますが、天孫降臨の話は古事記と日本書紀の中に複数の説が記載されています。今回紹介したのは、あくまでもその中の一つであるという事をご理解いただければと思います。

 

 

それではこの辺で、簡単ではありますが、ニニギの紹介を終わりたいと思います。

即位の儀礼

ようやく本題に戻ります。本記事の主題は大嘗祭ですからね。

 

 

最初に、『即位の礼』をあげた天皇が最初に行う『新嘗祭』という初回をしましたが、それでは『即位の礼』とは一体何なのでしょうか?

 

 

まず、新・天皇の即位が決まると儀式が行われます。その順番は、

 

 

一、践祚の儀(せんそのぎ) : 次の天皇として即位すること

 

 

二、即位の礼 : 新・天皇が即位することを国内外に周知する儀式。儀式の中心である、即位礼正殿の儀は海外でいうところの戴冠式にあたります

 

 

この『践祚の儀』と『即位の礼』を併せて『即位の儀礼』と呼びます。

 

 

そして大嘗祭は、二の『即位の礼』の後にで行われる儀式です。そのクライマックスに至るまでに、様々な儀式が行われるのです。ごく一部ではありますが、簡単に紹介します。

 

 

『期日奉告の儀』(きじつほうこくのぎ) : 皇室の祖神であるアマテラスと歴代天皇へ儀式のスケジュールを報告する儀式で、伊勢神宮(アマテラスが祀られています)へ勅使を派遣します。

 

 

『剣璽等承継の儀』(けんじとうしょうけいのぎ) : 三種の神器(草薙剣、八咫鏡、八尺瓊勾玉)のうち、剣と、勾玉を受け継ぐ儀式で、国璽(こくじ。日本国の印鑑)と、御璽(ぎょじ。天皇の印鑑)も併せて継承します。ちなみに、儀式の名前は、草薙剣と八尺瓊勾玉を併せて『剣璽』(けんじ)と呼ぶことから、このように呼ばれています。

 

 

『賢所の儀』(かしこどころのぎ) : 三種の神器の残る一つ、八咫鏡を受け継ぎます

 

 

『即位後朝見の儀』(そくいごちょうけんのぎ) : 新・天皇が即位後、初めて総理代人など国民代表に言葉を述べる儀式

 

 

『即位礼正殿の儀』(せいでんのぎ) : 即位の礼の中心儀式。天皇が自ら即位を国内外に宣言する儀式。儀式では国外からも元首・首脳が参列します。

 

 

 

ここで紹介した内容は、かなりざっくりとしたもので、実際は他にも儀式が細かく分かれています。これらの儀式を終えたのち、行われるのが大嘗祭です。

 

 

前回の即位の礼と大嘗祭は1,990年に実施されましたが、2019年に予定されている新天皇の即位の礼と大嘗祭はどのような形になるのでしょうか。

 

 

現在の皇室は、(即位の礼に限らず)『出来るだけ国民の負担にならないように』ということを、常々おっしゃられていますので、そのお気持ちが反映されることになるのではないかと想像しています。

 

 

ということで、今回は【天皇家最大の神事・大嘗祭(だいじょうさい)とは?】でした。

 

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